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「やりたいこと」が砂を洗った時の砂金のように残る

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悩み。


それは本当に悩みなのか。
「悩み」だと脳のデータが設定しているだけなのか。

 

やめたいけど、やめるわけにはいかない。
それは本当にやめられないことなのか。


やめたくないこと、やめるわけにはいかない(って葛藤していること)こと。
その違い大きいね。

 

好きなことがない。
ってよく聞くけど。


やめたいことがない、ってあまり言わない。

やめることさえなくなったとき。

 

自分は何を「する」だろう。

 

わたしの場合は。
人に寄り添い。
必要とあらば感情の整理をちょっとお手伝いして。
楽しく生きたい。
関わったみんなと楽しく生きたいです。

だったら今やればいいじゃん。
なんで今までやらなかったの〜?って話ですw

| リーディングカウンセリング | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) |

直感ごはんの会&☆女性の特権について知っておこう会&石祭りのお知らせ

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以前、月に一度開催していた「直感ごはんの会」復活!

また石マニアの間では伝説となっている「石祭り」とっておき大放出!

パートナーについて悩める女性の方々へお伝えしたい「女性の特権を知っておこう会」の開催です!

 

☆直感ごはんの会

料理人としてもプロである私が様々なジャンルの創作ごはんを作り、みなさまをお待ちいたしております。

(無添加 白砂糖不使用 デザートは白砂糖も含まれます)

 

なぜ直感ごはんなのかはいらしてからのお楽しみです♪

麦茶、コーヒー、お水、お料理いろいろ、が含まれております。

また、同席の皆様とのグループセッションも合わせて開催いたします。

普段、なかなか口に出せないことも、ほろりと話せる直感ごはんの会、お気軽にご参加ください。

お一人様大歓迎です。

 

6月24日(土)16時〜 3時間くらい

場所 白金高輪 HALO

料金 5000円 

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ーーーーーーー

 

☆女性の特権について知っておこう会

 

なかなかパートナーと出会えないとお嘆きの方の多くは、女性の特権を知らずに脳の声だけで一所懸命判断しようとしています。

柔軟でタフでパワフルな女性の持って生まれた母性の力に目覚めると、男性との関係性、自分の女性性、自分にとっての幸福感、を自分の感覚でつかむことが素直にできるようになります。

素敵なパートナーはいつも周りにいたのだと気付けるように目覚めましょう☆

グループセッションも含みます。

 

6月18日(日)父の日 15時〜 2時間くらい

お飲物&おやつが含まれます。

グループセッションあり。

場所 白金高輪 HALO

料金 3500円

 

ーーーーーーー

 

☆石祭り

長年のファンもいらっしゃる石祭りです♪

製作に入り次第、画像をどんどんアップしますね!!

 

20年以上かけてコレクションした今では幻となった天然石を展示販売いたします。

もう入手困難となったハイクラスのヒマラヤクラスター、レムリアンシードなどを含む原石。

見て楽しいを第一にデザイン重視で製作した天然石ジュエリーをたくさんご用意いたします。

他に、サンキャッチャー(Sグレード水晶スターカットを贅沢に使います)など。

眺めるだけでもクラクラするほどの美しさです。

ご購入の有無に関係なく、ゆっくりと地球のかけらを眺める祭りです。

 

7月29日(土)

7月30日(日)

8月4日(金)

8月5日(土)

8月6日(日)

 

12時〜20時までの間でご希望の日時をお知らせください。

見るだけ大歓迎☆

場所 白金高輪 HALO

入場無料

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ーーーーーーー

 

こちらのフォームから、full name、ご希望日時、人数、ご連絡先お電話番号をお知らせくださいませ。

料金のあるものは当日にお支払いください。

http://www.haloami.com/contact

 

フォームが開けないなどありましたら、ブログコメント欄からお申し込み、お問い合わせいただくか、メールを送っていただいても結構です。

amiuematsu@icloud.com

 

皆様とお目にかかれますのを楽しみにいたしております。

 

 

HALO 上松亜未

| ご予約可能日程 | 18:20 | comments(0) | trackbacks(0) |

母は手負いの虎だった4

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ディープに綴るサバイバルサンプル、手負いの虎シリーズ4話目です。

 

今回触れる内容はユーモア適応外の事件が含まれます。

 

母は毎日泥酔しておりました。
よろよろですし。
呂律回らないし。
支離滅裂なことを叫んでは気絶したりしておりました。

 

もう、わたしも弟も

 

「うちだけ戦場」

 

という中で生死をさまよう日々に疲れ果てていて、

10代にして中身は老人のようでした。

 

そんなある日。

 

うちには昔、石油ストーブがありまして。

母はぐでんぐでんな割にコーヒー好きで。
石油ストーブの上にやかんで湯を沸かしていました。

 

夜、ストーブを消してかなりたってから。

ぐでんぐでんな母がストーブの傍で倒れました。

やかんもひっくり返りました。

 

幼い頃から強制的に鍛えられた

わたしの「危険度センサー」

瞬時にレッドアラートになるのがわかりました。

 

同時にその光景がスローに見えて、

正直

「ああ、、もういい加減にして」という

「うんざり」な感情が湧いてくるのもわかりました。

 

母は太もも全体に湯がかかった様子で、

床にうつ伏せになり悲鳴をあげています。
ストーブを消してからかなり時間が経ってはいましたが、

やかんのお湯はそうすぐには冷えない。

 

わたしは救急車の要請電話をかけながら、

着ているものを脱がずに風呂場へ行くように言いましたが、母は言うことを聞かず。


トイレに行くと言って這うようにトイレに行き、

コットンパンツをトイレの中で脱いでしまいました。

 

それを止めようと添えた私の手の甲に、

べたっと乗ったものは母の太ももの皮膚でした。
 

悲鳴をあげている母を湯船へ入れて水を注ぎ続け。

 

救急車が到着し、母の状態を確認した救急隊員の方は、

やけど患者を多く受け入れたことのある大病院へ救急の電話をして、

母の患部を冷やしながらストレッチャーへ乗せました。

 

その間、外では赤灯を回した救急車が停まっていて。

母と共にわたしも外へ出ました。

そこに広がっていた光景は。

 

まるで大道芸でも見物するかのように

丸く輪になって群れている大勢の近所の人たち。

 

まぁ、気になるよね。
何があったのか。

 

わたしはやけに静まりかえった気持ちのまま、

世の中がスローモーションに見える状態のまま、

救急車に運び込まれる母を見ながら、自分も乗り込むスタンバイをしていました。

 

その時。

 

幼子を連れて野次馬に来ていたおばさんが

「なにがあったの?って聞いていらっしゃいw」と

薄ら笑いで連れている幼子に言ったのでした。


子どもは言われた通りわたしのもとへ来て「何があったの?」と聞きました。

わたしは「怪我したけど、大丈夫」とだけ答えました。

 

その後、母は病院で数回にわたる輸血を伴う移植手術を受けることになり、

わたしは病院代にかなり振り回されることになるのですが。
その辺は省きまして。

 

数日後、姑(父の母)は近所の人たちに

「いかに嫁がダメな人間か」をお題にやけどの話を言いふらしたようで、

あの時、輪になって見ていた人たち全てが事情を知っていました。

 

近所の人たちはわたしのことを

「母親が大やけどした現場を見ていたっていうのに、

涙ひとつ流さず動揺したそぶりもなかったあの娘は、

キチガイの嫁の血を継いだおかしな子だね。

10代であんな子はいないよ。どっかおかしいんだよ。」

と口々に噂しました。

 

でもそれも祖母を通じて聞かされるだけで、

わたしと道端ですれ違う近所の人たちは距離を取り、

距離を取りながらもあからさまにひそひそするのみ。
わたしに面と向かって話をしてくる人はいませんでした。

 

わたしは誰にどんな解釈をされようが、

気分は良くないけれど、

一般大衆の群れはそんなものだとどこかで納得していて。

 

その納得とは。

 

群れた大衆心理では自分に実害がないことに対しても凶暴になりやすい。
その出来事自体には腹がたっているわけでもないので許すこともない。

という流れ。

 

さらに。

 

その凶暴さの根源。


それは

 

劣等感(引け目)

 

劣等感とは誰かと比べる事でしか

自分の存在(立ち位置)を

見つけられないときに増幅する感覚。

誰もが持って生まれている承認欲求。

 

ある意味、母は一人で群れることなく、

やたらとパワフルにこの大衆心理の凶暴発作を

毎日、我が子達に向けて爆発させていたのだなぁ、と。

 

だから、わたしはこれ知っているのか、と。

 

他者よりもマシ。
あの人はおかしい。
わたしは普通。

そんな戯言では埋まらない心の風穴。

 

それを満たす源は「自分が自分を」

素の視点で承認することでしか埋まらない。

 

劣等感、引け目は凶暴さの源です。
増せば増すほど、わたしは正しい、あの人が悪い、という役割が必要になり。
それはどんなに励んでも満ちることのない飢餓状態となります。

 

引け目があると、相手が自分よりタフなのではないか?と感じた途端、

 

「集団でやっつけるか?」

「傘下に入りゴマをするか?」

 

の二択になりやすい。

どちらも本来の自分ではない選択。

 

なにがあっても自分は自分であり。
そんな自分を受け止め、受け入れ。
状況に正面から丸腰で行動をしてみる。

 

誰かと向き合った時。

その人そのものを「ただ見るだけ」がスタートになり。
媚びることも。
批判することも。
謙ることもなく。

自分とその人をただ眺め感じられる。

 

それって、ものすごく楽なこと。

しんどい体験も、楽になる着地があるものです。


HALO 上松亜未

 

 

JUGEMテーマ:毒親

 

 

 

 

| 機能不全家庭ブートキャンプ閲覧注意 | 17:25 | comments(0) | trackbacks(0) |

運は減らない。増えない。

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運の話1
☆☆☆


運は減りません。
そう言うとよく聞くお返事が「いや、もともとあまり運良くないんで」とか「いや◯◯で運をかなり使いましたよ。。」とか、わりとダウナーなお言葉を聞きます。

 

運は増えません。
と言ったときによく聞くお返事は「本当、運が良くなくて」「増やしたいですけどねぇ」とか、やっぱりダウナーなお言葉が多いw

 

運って、海の満ち引きのように「運」のタイミングでぐおお!っとパワフルだったり、しーんと静かだったりします。
でも、海の水が減ったり増えたりしているのとは違うように、運は増えたり減ったりではないです。

 

運を使うと減る!と思っていると、運の満ちた時に気づけないってことはあります。
でも取り逃がしたから減ってしまうわけでもなく。

 

誰かに何かしてあげたい!って衝動がよぎったけど、いろいろな理由でやっぱりやめた。
そんな時、運が減るのを怖がっている自分がいる。
その「してあげたい!」が自分の運の満ちであることに気づけなくなる。

 

どんな形であれ、ギフトを差し出しても運は減らないです。
お金や物が運ではないし、体力や精神力を使うと運が減るわけでもなく。
「ギフトを受け取る時が運が満ちる時だった」という仕組みです。

 

たとえば。

 

そのギフトが宝くじだったら。

 

宝くじを誰かにプレゼントとしてあげるとして。
「これが6億円だったら。。。」
「あげずに自分で持っていたら当たるかも」
「あげた後に6億円だったら自分の運をあげちゃったようなものだ。。。」
「当たった場合、あげたわたしにも受け取る権利があるのでは???」

とか。
ダークサイドがざわざわする人も多いでしょう。

 

大丈夫。
運は減らない。増えない。

 

もしあなたが誰かに宝くじをプレゼントしたとして。
それが当たっても外れても、それは受け取った人の運の満ち引きであって。
当たったとしても、あなたのビッグな運がその人に流れ出ていったわけではなく。

 

もしダークサイドが予想以上に騒ぐのなら、自分にもプレゼントしてあげよう。

 

でもね、これ、自分が誰かにあげるときよりも、実は「プレゼントしてくれる?」って聞いて見るとより一層、運のしくみがわかるミッションでw

 

宝くじだとわかりやすいけどハードル高いです。。。物やお手伝いでも充分よくわかるミッションです。

 

自分のダークサイドを愛して笑って。
愛がふいにあふれる予感がしたときには、あふれるがままの行動にしておいて大丈夫。
それは自らの運が満ちた時の特徴でもあることがほとんどです。

 

あげる側でも、もらう側でも、ワクワクしないなら流してよし。

ワクワクしたなら迷わない。

どんな脳内の声も無視。

 

やってあげた、やってもらった、ことであなたの運が減ったり増えたりはしません。
安心して自分の力の満ち引きを楽しむのみ、です♪


HALO 上松亜未

 

 

 

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| リーディングカウンセリング | 15:07 | comments(2) | trackbacks(0) |

母の日

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母の日でしたね。

 

ちえぽん(娘)からLINEで

 

「母の日おめでとう!!!」

 

と松岡修造みたいなメッセージが入りましたよ。

 

おめでとう、ってちょっと違う気がしたけど。

 

わたしの母親になれておめでとう!

なら、本当にこちらこそありがとう!!!です。

 

わたしの母は手負いの虎でしたし。

ちえぽんのお父さんの母親も、何気に手負いの虎でしたし。

 

わたしもかなり手負いですが、虎ほど暴れん坊じゃぁないかな?

どーかな?

あやしいか。

 

 

HALO 上松亜未

 

 

JUGEMテーマ:母の日

 

 

 

 

| 日々徒然 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |

母は手負いの虎だった3

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手負いの虎だった母について綴ることは、

こんな状況で30年くらい過ごしても、

結構、笑いの沸点低く、ヘラヘラと楽しく生きているわたしの例もあるから、

もし、毒親呪いで今も窒息悶絶している人がいたら、

どうか希望を持ってゆるんでね!という願いからです。

 

日本は笑うってどこか不謹慎だ!!みたいになるシーン多いじゃないですか。

 

でも、わたしはユーモア、滑稽さ、って救いになることの方が圧倒的に多いと思います。

 

1.2とディープにまじめに綴った手負いの虎シリーズではありますが。

戦友のような弟や、母の弟(わたしの叔父)と当時の話をするときは、

結構、ブラックな笑いになるものです。

 

たとえば。

 

叔父談(母の弟)

 

「上野の配達行くって言ったら、

むつ(母のあだ名)が一緒に乗っていくって言うからさ、

車の番がてら連れてったの。

 

車に乗る前に呑んだらしくてどんどんおかしくなってきてさ。

配達の後、不忍池でボート乗りたいって言い出して聞かないの。

 

仕方ないから乗ったんだけど、

まぁ、おかしいながらも最初ヘラヘラしてたのに。

 

急に真顔になってこっち睨んだと思ったら、

池にどぼーん!って飛び込んじゃってさぁ。。。

 

周りの船の人も協力してくれて引き上げたんだけど、どろどろで。

どうも入水自殺しようと思い立ったらしいんだけど、不忍池だよ〜?!

 

浅いし、どっちかっていったら沼なんだよ、あそこ。

帰りの車で助手席にドロドロ星人みたいなむつ乗っけて走って、

対向車の人が驚きすぎてて申し訳ないくらいだったよー。」

 

私&弟

『あ〜〜、その急に真顔ってのわかるぅ〜〜〜』

 

爆笑www

 

 

みたいなw

 

このパターンよくあったんですよ。

 

家族で車に乗ってる時に、急にドアあけて西部警察並みに転げ落ちてみる、とかね。

 

夜の道を歩いている時に、急に爆音で叫んで走りだすとかね。

 

3階の窓から飛び降りて下の幌にバウンドして地面に落ちるも無傷とか。

 

みんなでテレビ見てたら突如、昔の重いブラウン管テレビを父に向けてぶん投げて雄叫びとか。

 

父に掴みかかってネクタイ締め上げてこま結びになって、父がはさみ持って切ろうとしてる所を顎叩くとか。

 

もうね。

 

ジャッキーチェンか千葉軍団に弟子入りして!

 

って思いましたよ。

 

えげつないと言われる南米のドッキリ番組なんて、

むつに比べりゃかわいいもんですよ。

 

今思えば、絶対ネタ仕込んでただろ!wって思いますけどね。

 

HALO 上松亜未

 

JUGEMテーマ:毒親

 

 

 

 

| 機能不全家庭ブートキャンプ閲覧注意 | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) |

母は手負いの虎だった2

 

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幼き日、若かりし頃のわたしに浴びせかけられる

 

「わたしの子どもとは思えない」

「本当に嘘つきで嫌な人間」

「あなたは冷たい」

「売女みたいに男に媚び売って」

 

などの言葉を聞くたびに、

幼心なりに『うちの親、おかしいな』と感じました。

 
相当おかしい。

わたしの真実とも事実とも違うことを言われている。

そうわかっていても。

思っていても。

 
毎日、昼夜問わず、夜中に叩き起こされてまで、

どんな時でもそう言われ続けていると。

 
ふと

 

『わたしが悪い』と思い始めます。

 
どんなに深く傷つき、悲しく、孤独に打ちひしがれても。

2日に数時間あるかないかの。

ちょっと母からお酒が抜けて、会話や笑いが生まれたりする時。

それが嬉しくて、嬉しすぎて。

 
『母は苦しさゆえにあんなことをいうこともあるのだ。

なんとか力になって立ち直ってもらって、この人を喜ばせたい。』

という呪いがさらにかかってしまいます。

 
母は「わたしはお酒飲むこと以外は完璧」とよく言っていました。

 
しかし、家の中は吐瀉物と排泄物で汚れまくり、

わたしのバイト代はどんどん財布から抜かれて、

罵声を浴びながら電話の受話器で殴られ、

ようやく眠りにつくと叩き起こされて料理を作れと言われる。

 
眠りのないまま、朝、学校へ行き、帰りにバイトをして。

帰宅と同時に家中の汚物を掃除する。

 
手負いの虎と化した母。

 
「お酒を飲むこと以外は完璧」

 
本人は心からそう思っているのです。

 
かつては、すごく美人で歌がうまく、

料理も上手で、スタイル抜群で頭脳明晰だった自分を脳内キープして。

 
可哀想な母親と、母親を喜ばそうと奴隷化する子ども。

 
仮に、子どもが全人生を捧げて母を幸せにしようとしても、

それは難しいことです。

 

本人がギフトを受け取れない、

本人が立ち上がるだけの最初の一歩の回復を試みない、限り。

どんなに心を尽くしても全身全霊を捧げた方が先に壊れるだけ。

 
親から子。

子から親。

恋人でも。

親友でも。

どんなに痛々しく同情を感じた誰かであっても。

 
本人が「救われたい。そのために自分の足で立ち上がりたい」

と素直に悲鳴のような情熱と希望を認めない限り。

どんなに「命令」に答えても無駄なのです。

 
誰もが欠落を抱えています。

どんなに白歴史で生きていると胸を張っている人でも。

人には救いようのない欠落が備わっています。

 
それが人間であり。

人間らしさであり。

愛らしさ。

その人らしさ。

ユニークさ。

自由さ。

 
欠落を愛し愛おしみ。

 
自分にも他者にも、無駄な尽力を捧げるのではなく。

 
欠落を愛したら全て楽しくなることを母に気付かせるだけのわたしだったなら。

わたしも自分をここまで壊れさせずに済んだかもしれません。

(子どもだったから難しいねw)

 
でもね。

そんな自分、気に入ってるのです。

やろうと思ってやれることじゃない経験をしたなぁ、と。

人生は冒険だなぁ!と。

笑いながら火の粉をかいくぐって進むのも楽しいものです。

 
 
HALO 上松亜未

 

 

JUGEMテーマ:毒親

 

 

 

 

| 機能不全家庭ブートキャンプ閲覧注意 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) |

母は手負いの虎だった1

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画像はスズメの卵です。

スズメは20gの体で、懸命にヒナを育てようとします。

野生の生き物は自然の育みを誰に教わらずとも、

子を敵から守り、自立に必要な知恵を授け、

その時が来たら突き放すかのように親は自ら離れていく。

 

そんな自然の育む姿は、時折、人間ではエラーを起こしてしまうようで。

感情と知恵が複雑なほどに成熟した生き物ならではなのかな、とも思います。

 

わたしの母はアル中でした。

 

すごい美人で成績優秀な母は16歳で半分ヤクザなような父に見初められ、

人身御供のように嫁にやられた人でした。

 

私立高校に通って将来の夢を見ていた少女は、いきなり自営業の長男に嫁ぎ。

そのなかでも、自分が耐えて頑張ればいつか夫は理解して愛してくれるのだろう、

と信じて姑姑の壮絶ないじめにも耐え、美しい手は荒れ放題に血が滲み、

眠る時間も少なく、体の弱いダメな嫁と言われながら、

一所懸命に(いつか愛されると信じて)働いたのでした。

 

父は略奪結婚のように迎えた母を大切にせず、

自分はすぐさま外に愛人を作って何かと家にいない人で。

 

まもなく。

 

母の父(わたしの祖父)は娘を嫁がせた会社に自分も勤めるようになり。

そこで大金を横領して会社を潰しかけました。

娘の嫁ぎ先の会社を。

 

女性として一番美しい時期に体も心もボロボロにして、

自営業の嫁ぎ先で人身御供のまま仕事に忙殺される母。

 

わたしがお腹に宿った時。

父は刑務所におりました。

 

「このまま産んで良いものか。おろそうか。。」

 

と迷った母の意識が不思議とオレンジ色の光とともにわたしにも残っています。

お腹の中のうちから記憶があるというのはどうやら本当のようです。

 

母は、子供を産めば夫が変わるのではないか?

子供ごと自分を大切に愛してくれるかもしれない。

 

そんな願いをこめてわたしを産みました。

ただし、望んでいた男の子ではありませんでしたが。

 

その5年後に弟が産まれました。

祖父祖母待望の後継です。

 

わたしが産まれても、弟が産まれても、

父は変わりませんでした。

祖父も祖母も変わりませんでした。

 

わたしが2歳の頃にはすでに母はアル中で。

呂律も回らないほど酩酊してわたしを罵る母が怖くて。

 

泣きながらおばあちゃん(母方)の家に電話をしようとすると、

「もし電話かけたら今ここで首を切って死んでやる」

と脅され受話器を置くことが続きました。

 

かわいそうな母を励まし、なんとかお酒をやめてもらって、

わたしを愛して欲しい、と幼いわたしは必死に母の味方であり続けました。

 

 

その頃のわたしには、

たとえわたしの人生の全てを捧げても母が幸せになるわけではない、

むしろ、悪化させることもある、

ということがわからなかったのです。

 

HALO 上松亜未

 

JUGEMテーマ:毒親

| 機能不全家庭ブートキャンプ閲覧注意 | 19:09 | comments(0) | trackbacks(0) |

経験と寄り添う気持ち

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HALOのリーディングに

「サイキック的な要素があるかないか」で言えば、

あるのだと思います。


生まれ持った勘が強いだけのことかもしれませんが、

私の中にぐわぐわと鮮やかな映像が動く時は、

少なからず「可能性がある」ことなのは確信しています。

 

それにプラス。

 

やっぱり経験ってすごいと思うのです。

 

自分が傷んでいる時って、

誰もわかってくれない!わかるはずがないっ!とか、何かと閉ざし気味になり。
閉ざしている割には、誰かにめちゃぶつけのような流れ弾を当ててみたり。

 

健やかなる時も病める時も汝は、って誓いの言葉あるけど。
ほんと、嬉しい時も傷んでいる時も、人は共感という温かさが欲しいもの。

でも、傷んでる時はそれが素直に出せなくなってしまう。

 

わかるよー。


傷の大小じゃないんだよね。
痛いものは痛いものね!
いじけちゃうよね。

 

リーディング内容を伝える時。
たまーにね。
「先生はそれ全部出来てるんですか?!(怒!)」
ってセリフ聞くことあるのです。

22年やってきて3〜4回くらいだけどw

 

全部は出来てない、というか、常には出来てはいないかな。

ただ。
かなり近い経験をしてきたサバイバーとして、
その傷みを、悲しみを、リアルに私の中に再現は出来る、と思う。

 

たとえば。
戦争を体験していない人がお年寄りから戦争の話を聞く時。
想像は出来ても、人が焼ける匂い、愛するものが戦地に向かうのを見送る時の心境、
暖房も冷房もない中で飢えと爆撃に怯える体力勝負とか。


そうゆうのやっぱり経験していないと想像が及ばないところがあるのは仕方がない。
やっぱりどこかリアルではない。

 

病院のお医者様もどんなに患者さんの気持ちをわかろうとしてくれても、
障害も持った人の日常全ての工夫や試練や、凄まじい痛みや、
不調で眠れない夜にぐるぐると巡る思考などは、やっぱり想像するには限界がある。

 

卵を食べたことない人に卵の味をわかってもらうのも難しいねw

 

似た経験をした人同士なら、語らずとも伝わることっていっぱいあるね。

同時に、経験がなくても、わかってあげたいって思う気持ちがすごく大切。

 

わたしもそうです。
全部はわからない。


救ってあげることなんてなおさら出来ない。
自分を救うことが出来るのは自分だけなので。

 

それでも寄り添い、わかろうとする時。
化学反応のように何かがスパークする時はある。
それが救いにつながることもある。

 

わかろうとするとき。
本やセミナーで知った知識ではなく。
わたしには幸も不幸も山程の経験があって。


(↑それちょっと内容知りたーいって人はブログカテゴリーの
「機能不全家庭ブートキャンプ閲覧注意」をご覧ください。
サバイバルサンプルとしてわたしの生い立ちなどを書いています。
逆セラピーになるか、どよーん。。となるかは、自己責任でお願いしますw
幸せな体験のサンプルストーリーはブログカテゴリーの「人生は冒険だ」にアップしています。)

 

そのひとつひとつが、来てくださる方の「共鳴」につながるのです。
わたしの経験のどれか一つが、きっとあなたの閉ざしそうな気持ちに、
共鳴の振動を起こせると思います。

 

「経験だからやってみろ」では到底出来ない経験をサバイバルしてきたからこそ、
あ、あの時のわたしの気持ちが参考材料になるな!と起こせる。

ぶっ壊れたことがあるからこそ。

一部壊れたまんまでも楽しく生きている実証がわたしであるからこそ。

 

共鳴と湧き上がる映像。
その二つを使って、閉ざしそうな人が、迷子になった人が、
また鮮やかな風景を描けるきっかけとしてこのお仕事を続けています。


HALO 上松亜未

| リーディングカウンセリング | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |

無意識サバイバル

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もし、半年前の自分が目の前に現れたら。

言ってあげたいこと、いっぱいある。


この半年でそんな劇的なことなんてなかったよ、って人でも、
いざ半年前の自分が現れたら色々教えたくなる。

 

半年前の自分の手を引いてあげる。

 

で。

半年先、一年先の自分に今の自分の手を引っ張ってもらう。


思い切り甘えても自分だから遠慮はいらない。

そこへ連れてってー、と思い切りお願いして引っ張ってもらおう。

 

神様よりずーっと近くて、願いを聞いてくれる一番の人。


HALO 上松亜未

| リーディングカウンセリング | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) |

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