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母は手負いの虎だった4

IMG_6726.JPG

 

ディープに綴るサバイバルサンプル、手負いの虎シリーズ4話目です。

 

今回触れる内容はユーモア適応外の事件が含まれます。

 

母は毎日泥酔しておりました。
よろよろですし。
呂律回らないし。
支離滅裂なことを叫んでは気絶したりしておりました。

 

もう、わたしも弟も

 

「うちだけ戦場」

 

という中で生死をさまよう日々に疲れ果てていて、

10代にして中身は老人のようでした。

 

そんなある日。

 

うちには昔、石油ストーブがありまして。

母はぐでんぐでんな割にコーヒー好きで。
石油ストーブの上にやかんで湯を沸かしていました。

 

夜、ストーブを消してかなりたってから。

ぐでんぐでんな母がストーブの傍で倒れました。

やかんもひっくり返りました。

 

幼い頃から強制的に鍛えられた

わたしの「危険度センサー」

瞬時にレッドアラートになるのがわかりました。

 

同時にその光景がスローに見えて、

正直

「ああ、、もういい加減にして」という

「うんざり」な感情が湧いてくるのもわかりました。

 

母は太もも全体に湯がかかった様子で、

床にうつ伏せになり悲鳴をあげています。
ストーブを消してからかなり時間が経ってはいましたが、

やかんのお湯はそうすぐには冷えない。

 

わたしは救急車の要請電話をかけながら、

着ているものを脱がずに風呂場へ行くように言いましたが、母は言うことを聞かず。


トイレに行くと言って這うようにトイレに行き、

コットンパンツをトイレの中で脱いでしまいました。

 

それを止めようと添えた私の手の甲に、

べたっと乗ったものは母の太ももの皮膚でした。
 

悲鳴をあげている母を湯船へ入れて水を注ぎ続け。

 

救急車が到着し、母の状態を確認した救急隊員の方は、

やけど患者を多く受け入れたことのある大病院へ救急の電話をして、

母の患部を冷やしながらストレッチャーへ乗せました。

 

その間、外では赤灯を回した救急車が停まっていて。

母と共にわたしも外へ出ました。

そこに広がっていた光景は。

 

まるで大道芸でも見物するかのように

丸く輪になって群れている大勢の近所の人たち。

 

まぁ、気になるよね。
何があったのか。

 

わたしはやけに静まりかえった気持ちのまま、

世の中がスローモーションに見える状態のまま、

救急車に運び込まれる母を見ながら、自分も乗り込むスタンバイをしていました。

 

その時。

 

幼子を連れて野次馬に来ていたおばさんが

「なにがあったの?って聞いていらっしゃいw」と

薄ら笑いで連れている幼子に言ったのでした。


子どもは言われた通りわたしのもとへ来て「何があったの?」と聞きました。

わたしは「怪我したけど、大丈夫」とだけ答えました。

 

その後、母は病院で数回にわたる輸血を伴う移植手術を受けることになり、

わたしは病院代にかなり振り回されることになるのですが。
その辺は省きまして。

 

数日後、姑(父の母)は近所の人たちに

「いかに嫁がダメな人間か」をお題にやけどの話を言いふらしたようで、

あの時、輪になって見ていた人たち全てが事情を知っていました。

 

近所の人たちはわたしのことを

「母親が大やけどした現場を見ていたっていうのに、

涙ひとつ流さず動揺したそぶりもなかったあの娘は、

キチガイの嫁の血を継いだおかしな子だね。

10代であんな子はいないよ。どっかおかしいんだよ。」

と口々に噂しました。

 

でもそれも祖母を通じて聞かされるだけで、

わたしと道端ですれ違う近所の人たちは距離を取り、

距離を取りながらもあからさまにひそひそするのみ。
わたしに面と向かって話をしてくる人はいませんでした。

 

わたしは誰にどんな解釈をされようが、

気分は良くないけれど、

一般大衆の群れはそんなものだとどこかで納得していて。

 

その納得とは。

 

群れた大衆心理では自分に実害がないことに対しても凶暴になりやすい。
その出来事自体には腹がたっているわけでもないので許すこともない。

という流れ。

 

さらに。

 

その凶暴さの根源。


それは

 

劣等感(引け目)

 

劣等感とは誰かと比べる事でしか

自分の存在(立ち位置)を

見つけられないときに増幅する感覚。

誰もが持って生まれている承認欲求。

 

ある意味、母は一人で群れることなく、

やたらとパワフルにこの大衆心理の凶暴発作を

毎日、我が子達に向けて爆発させていたのだなぁ、と。

 

だから、わたしはこれ知っているのか、と。

 

他者よりもマシ。
あの人はおかしい。
わたしは普通。

そんな戯言では埋まらない心の風穴。

 

それを満たす源は「自分が自分を」

素の視点で承認することでしか埋まらない。

 

劣等感、引け目は凶暴さの源です。
増せば増すほど、わたしは正しい、あの人が悪い、という役割が必要になり。
それはどんなに励んでも満ちることのない飢餓状態となります。

 

引け目があると、相手が自分よりタフなのではないか?と感じた途端、

 

「集団でやっつけるか?」

「傘下に入りゴマをするか?」

 

の二択になりやすい。

どちらも本来の自分ではない選択。

 

なにがあっても自分は自分であり。
そんな自分を受け止め、受け入れ。
状況に正面から丸腰で行動をしてみる。

 

誰かと向き合った時。

その人そのものを「ただ見るだけ」がスタートになり。
媚びることも。
批判することも。
謙ることもなく。

自分とその人をただ眺め感じられる。

 

それって、ものすごく楽なこと。

しんどい体験も、楽になる着地があるものです。


HALO 上松亜未

 

 

JUGEMテーマ:毒親

 

 

 

 

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